考えを文章で伝える練習帳

考えを文章で伝える練習帳。文章を書く習慣を付けたいです。

つい最近、ある友人からこれを紹介されて、薦められた。
私は、募金の類は一円たりとも払いたくない主義なので、断ったのだけど、その理由を考えてみる。


一つは、これはもう、非常に冷酷な印象を与えるんだけど、自分にメリットが何一つないから。
少しでも世界の役に立ったと感じられるほど、自分の力(300円)を過信していないし
周りの仲間と一緒に、このようなキャンペーンに参加して一体感を得て満足するほど、仲間に飢えてない。
主義主張が異なるから、という理由で疎遠になるような人は最初から相手にしない。
キャンペーン自体は、純粋な募金に比べて、面白い方法だし、応援したいけど
自分が参加するか、というのはまた別問題。


もう一つは、募金というシステムに対する不満というのがある。
多くの人の、気まぐれな善意を当てにして、問題を解決していこうというのは
根本的な解決にならないのではないか、と。一時しのぎとしてはかなり有効な手段というのは認める。
災害の時なんかは、突然やってきたクライシスに対して、一時しのぎの代表格である募金が上手く対応していってると思う。私は最初の理由により、この場合でもしないけど。
で、今回みたいな、貧困を救おう的な目的だったら、金をつぎ込んだところで
貧困地域の環境(政治や風土や思想)が変わらない限り、解決はされないと思う。
もっと恒久的に、金を吸い上げて、上手く運用しつつ、社会を豊かにしていくシステムが望ましいのだけど、それは別の言葉で「税金」というわけで、つまり、税金があがるのは猛反対だけど、募金はしようよーって主張する人が多いのはおかしいでしょうと。
自主的な支援と、強制的な支援では、確かにモチベーションに差はでるかもしれないけど
本質的には、運用する組織が違うだけで同じことなわけだ。


最後に、幸せとか不幸っていうのは相対的なものだからというのがある。
比較して相対的に裕福な我々から見たら、不幸で可哀相かもしれないが
豊かな世界を知らないものにとっては、日常的なことだ。そこを一時的に金を投入したところで
持続しなければ、下手に豊かな世界を知ってしまった分、以前より不幸になることは間違いない。
私は日本に住んでいるから、貧困というものとは無縁で、だからこそ、不幸だなぁ、我々は幸せだなぁ、と感じるのだけど
日本より遥かに豊かな国があって、道が広くて、人口密度が低くて、食料自給率が高くて、e-sportsが盛んで、税金が超安かったりしたら、なんて日本は不幸なんだ、と感じる。
そういう世界を知らないから、自分たちより貧しい国を見て、今幸せだと思っているだけ。


散々書いてきたけど、試みとしては面白いと思うので、上手く継続的にやれればいいなとは思う。